大山寺縁起絵巻 
当坊に保存されている
大山寺縁起絵巻全2巻を紹介します。 
大山寺縁起絵巻は、説明文と絵が交互に物語を形成しています。
    
大山寺縁起絵巻は、年代の差をもつ数種類のものがあります。 当坊のものは、年代的には最も新しく製作されたものだといわれています。 為に、顔料が豊富になり、絵の出来は最も良く、驚くほどあざやかな色彩です。
大山寺縁起絵巻概要

制作年月日、その他不詳ですが、平成8年の平塚市文化財調査報告書の一部を以下に記載します、当坊の絵巻の歴史的な位置付けの参考に。


平塚市博物館   享禄5年(1532年) 所蔵:大源坊東学院 詞書筆者:祐賢坊乗貞

伊勢原市教育委員会
             貞享1年(1684年) 所蔵:宝蔵坊玄浄代 
             詞書筆者:斉藤一器子 岩崎玄周 絵:清水七之丞、清水七右衛門 

藤沢市教育委員会
             元禄12年(1697年) 所蔵:大山寺繁盛坊一代 詞書筆者:楠盛林

大山寺          不詳         不詳            詞書筆者:楠盛林

かげゆ(内海)     不詳         不詳               不詳

勝楽寺          不詳        所蔵:法眼祐泉坊  詞書筆者:平岡伊織頼経

個人【奈良】  屏風  不詳         不詳               不詳
大山寺縁起絵巻小考(共立女子短期大学非常勤講師 佐伯英里子氏著)より

内海家蔵本の特色


 詞書内容は享禄本と同じだが、やはり細部においては文言や表現に多少の相違が認められる。詞書テキストは享禄本系統を用いながら、画は自由な改変を行い、図様を整備しより説明的なものに仕上げたと思われる。なお詞書も図様も勝楽寺本と極めて近く、金銀砂子や華麗な彩色を施し、調度の類まで入念に描くなど工芸的趣向もうかがえる。いわゆる棚飾り本お伽草子と共通するような、奈良絵風の丁寧な作風を示す。なお描写は勝楽寺本以上に精緻を極めるが、細部にまで共通点が多く、ほぼ同時期における同一工房か、近い工房の制作である可能性が考えられる。いずれにしても大山寺本や藤沢市本とは系統を異にするものである。図様的には、勝楽寺本と当本のみ下巻最終段の参詣場面に、修験僧が描かれている点も注目される。更に当本の場合、他の絵巻には無い、未完成の大山寺の坊社の図を挿入している点が際立った特色である。名所図絵的なものを意図したものとも考えられるが、現在その挿入の目的やソースを知る手がかりはない。なお本巻には、傷みの激しい正保2年(1645年)の奥書を有する漢文縁起1本と仮名縁起2本が付随する。
別筆ではあるが、勝楽寺本の制作下限が1714年である点とあわせ、当本の製作期を考える上で示唆的である。

物語の概要    詳細はこちら ⇒⇒

 相模国の国主「太郎大夫時忠」夫婦は、子が無く、子授けの祈願をし、ようやく念願の子をもうける事ができました。 その喜びはひとしをでしたが、ある日、鷲にその子をさらわれてしまいました。 さらわれたその子は、遠く奈良の都、深山の楠の鷲の巣に連れていかれましたが、猿により助けられ、やがて僧として成人しました。 そして「良弁」僧上と名を改め、東大寺を建立、その別当になっていました。

 一方、時忠夫婦は、地位も捨て、全てを投げうって、最愛の我が子の行方を諸国に尋ね歩いていました。 大変な苦難な旅を超え、東大寺で夫婦は、とうとう我が子良弁と出会うことができました。 時忠は、良弁を伴い、そろって相模国へ帰国、再び国主になりました。 

相模の国に来た良弁は、頂上より照らす光を感じ、大山山頂へ登山、金色の不動明王の出現により、 良弁は、そこに霊験あらたかな大山寺を開くことになりました。


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